2007年5月15日火曜日

ウエストミンスター寺院

上の写真は西側の入り口。
お祈りの時はここから入ります。
下は東側。
中がとても綺麗なのはこのあたりです。一般の観光の人たちは、北側から入場します。今から約千年前、このあたりはソーニー・アイランドって呼ばれて、テムズに浮かぶ島のひとつでした。時の王様はエドワード証誓王、まだ王子様のときにバイキング系の王家に勢力のためにフランスに亡命した経験があります。

彼はそんな頃心に誓ったの。「もし僕が王様になれたらきっと神様にお礼の気持ちを伝えよう。ローマのサン・ピエトロまで巡礼に行こう。」デモね、王様にはなれたんだけどローマまでなんて行ってる暇ないのよね。

そこで彼、イギリスにサン・ピエトロ寺院を作ろうって考えてました。
当時のロンドンを西に出たところにサン・ピエトロって小さなお寺があったから、それを大きく作り直す事に決めました。そしてそのそばに住みたいって考えて、宮殿も隣に作ったわけ(これが現在の国会議事堂の元になります)。

出来上がったのが1065年、12月の28日。
ロンドンの西にあるからウエストミンスター寺院って云うわけ。
サン・ピエトロって云うのも名前のひとつです。
英語ではセント・ピーター、天国の鍵を預かっている人。
ここの旗は黄色に赤い鍵が交差している(サン・ピエトロを表している)時と、青い地に十字架、そこに小鳥たちがとまっている(聖エドワードを表している)時があります。

この人は聖人って言われるだけあってとっても清らかな人で、神様に操を立てています。
そこでやむなく結婚した後も奥様に手は出さなかったとか・・・。
大変に信心深くって、ある時乞食が巡礼に行く費用が欲しいって彼に無心したら「もって行きなさい」って自分のサファイアの指輪を与えたと言う話が残ってます。
実はこの乞食は彼を試した天使だったとか。まあ話には尽きません。結局楽しみにしていたここが出来て1週間後に彼、病気で死んでしまいます。

その後いろんな人たちが「私が彼の後を継いで王様に」って名乗り出たんだけど、フランスのノルマンディーを治めていたバイキングあがりのウイリアムがこの国を征服します。
「私こそエドワードの跡継ぎにふさわしい」ってアピールのために、出来たばかりのウエストミンスター寺院で、しかもクリスマスの日に戴冠式を挙げます。
それ以来戴冠式はここで行われるようになりました。

中のモニュメントはそれこそたくさんガイドブックが説明してるのでここでは触れません。

私のお気に入りは

1、ヘンリー7世チャペルの天井。
2、ルービリヤックのナイチンゲール記念碑(あのナイチンゲールじゃないので念のため)
3、戴冠の椅子にある数え切れない落書き
4、アイスリップチャペルの外側にある駄洒落の彫り物(木から落っこちる人と目玉でアイ・スリップ)
5、チャプターハウス(ダヴィンチ・コードに出てきますね。)
是非探してみてください。

折角だからガイドブックには載ってない裏話を2つ。

ヘンリー7世チャペルにはバース勲章をもっている人たちの家紋が旗になって飾られています。前に持ってた人の家紋は真鍮のプレートで飾られています。
ガイドの勉強をしていた時に、日本人でバース勲章をもらった人がいるらしい、という噂を聞いて調べてみる事にしました。
寺院の図書室に入れてもらってバース勲章の記録を調べたいって言ったら、革表紙の厚みが15センチ以上ありそうな記録を2冊調べさせてくれました。
11世紀からの受勲者の名前が凡て記されているそうです。
まさか全部は見きれないので、多分明治維新ぐらいだろうとアタリをつけてページを繰っていくと、ありました。「マーキス・イトー」
イニシャルも何にもなし。ただのイトー侯爵。
おそらく伊藤博文?
こんな時代の記録もちゃんと残っているのはさすがイギリス。
ただいい加減に「イトー侯爵」って載せるのもさすがイギリス・・・。

もひとつはお隣のウエストミンスター校。
13歳から18歳のお金持ちのお坊ちゃま校です。
学費は年間400万円を下りません。
出身で有名なのはアレキサンダー・ミルン「クマのプーさん」を書いた人。 
ディズニーが版権を買ったときに、かなりの金額がこの学校に入ったそうです。
生徒たちに、このお金を有効に使うアイディアを募集したところ、一番多かったのが
「両親が学校に来るときに便利なように、校庭にヘリポートを作って欲しい」
2番目が水道の栓をひねると、コカコーラが出るようにして欲しいというもの。
最後は校内にスターバックスの支店を作って欲しいというものでした。

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