2012年5月17日木曜日

Wilton Diptych

これは、ナショナルギャラリーにある、ウィルトン・ディプティッチという作品です。
ディプティッチというのは、2枚絵が蝶番などで繋がれているもの。
本のように、開いたり、閉じたりすることが出来ます。
因みに大きな絵の両側に、その幅半分の絵が、同じように蝶番で繋がれているものは、トリピッチ(Triptych)といいます。
じゃあ、ウィルトンは何かというと、地名。
ストーンヘンジから、真南に10kmほど下りたところにある村の名前で、ペンブローク伯爵家のお屋敷があります。
ウィルトンにあるから、ウィルトンハウス(リンクします)
この作品は、300年位前からこのお屋敷におかれていたもの。
1929年にナショナルギャラリーが購入しました。 

1929年といえば、世界大恐慌のきっかけになった、アメリカの株の大暴落の年です。
第一次世界大戦の後、しばらく不況が続いていたイギリスでは、1925年に、チャーチルが英ポンドの価値を金の価格に連携させる政策をとりました。
その為に英国の貨幣価値が高くなって、輸出の競争力が落ちたので、製造業に関わっていた、たくさんの労働者が職を失ったそうです。
ストライキが各地で起こり、大規模なストライキが1926年にありました。
経済は落ち込んで、解雇以外にも、投資を控えて経費を削減する企業が目立ったようです。
 お金持ちの人たちの投資は、国内よりも外国へ向かいました。
アメリカの株などに投資していた貴族も多くて、1929年の大暴落では、イギリスでもたくさんのお金持ちが財を失いました。 

ペンブローク伯爵がどういった理由で「Wilton Diptych」を手放したのかは知りませんが、いろんな作品がどういった経路でナショナルギャラリーに飾られることになったのか、ちょっと考えてみるのも面白いかもしれません。

それでは「Wilton Diptych」を購入するためのお金はどこから来たのかというと、コートルド・インスティチュートを設立した、サミュエル・コートルドが関わっているようです。
コートルド一族は、織物工場の経営などで生計を立てていました。
サミュエルは、引き継いだ工場の経営よりも、レーヨンの開発のために大金持ちになりました。

絵画に興味を持つようになってからは、印象派を特に好んだようで、ゴッホの有名な自画像(耳に包帯をしているもの)も彼のコレクションです。
コレクションの主なものは、やはり、1926年から1930年に購入されました。
コートルド・インスティチュート(リンクします)は、絵画を扱うことを仕事にする人たちの教育のために作られました。
小規模ながら、質の高い美術館(リンクします)を併設していることで知られています。
残念ながら有料ですが、印象派の絵画がたくさん飾られています。
先月紹介したエルタムパレス(リンクします)は、サミュエルの弟、スティーブンが改築しました。
兄弟揃って新しいもの好きだったんですね。

前置きが長くなりすぎたので(笑)、ウィルトン・ディプテッチについては次の記事で。

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