2015年10月2日金曜日

モダンアートは面白い?

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最近のロンドンはとてもいいお天気です。

昨日はそんなロンドンのサウスバンクにあるテイトモダンに行ってきました。

テイト美術館はロンドンに二つあります。

ひとつはピムリコにあるテイトブリテン。
ここにはターナーのギャラリーがある他、ラファエル前派なども多く揃っています。
名前が示す通り、イギリスの絵画が集められているところ。

もう一つはサウスバンクにあるテイトモダン、西暦2000年にオープンしました。

もと火力発電所だった建物。
この中にモダンアートがたくさん収められているのです。


現在建増し中。
来年の夏ごろ、すっかり内容も入れ替えて再オープンの予定です。

一番大きなお部屋はレベル0のターバインホール。
今ここも展示を入れ替えている途中です。
これ、アートですって言われればそのまま信じちゃうかもね(笑)

モダンアートは嫌いという人が多いです。
その理由の一つは、内容が理解しがたいということではないでしょうか。
これのどこがアート?みたいな感想を持つ人も多くいます。



イギリス人は学校のお休みに子供たちを美術館や博物館に連れていきます。

私たちも桃太郎君が小さい時から色々なところへ連れて行きました。

そんな桃太郎君が一番嫌いだったのはテートモダン。
「分からない」
「誰にでもできそう」
「見る側を馬鹿にしているとしか思えない」
そんなコメントが返ってきたことを覚えています。

プロのガイドにとっても、モダンアートは難しい。
どうガイドすればいいか、いつも考えてしまいます。

伝統的なアートと違って、見る側とアートとのコミュニケーションが重要な場合が多いので、グループにレクチャーするスタイルのガイディングには向きません。


限られた時間内で、ロンドンの数ある美術館の中から、ここを見たいという人も稀。
私は時折個人のお客様とおしゃべりしながら楽しんだりする程度。


今日はそんなテートモダンの中からひとつだけ作品をご案内します。

Donald Clarence Judd の作品で、タイトルはありません。

この写真ではわかりにくいかもしれませんね。
これ、上から下までで4mくらいあるオブジェです。
光沢のないメタルの枠の前面に、ブルーの樹脂がはめ込まれています。

1980年の作品。

ジャッドはアメリカ人で、生まれたのは1928年。
1994年に亡くなっています。

この作品はカテゴリーでいうと、ミニマリズム。

余分なものをすべて作品からはぎ取って、残ったものが純粋なアートになるという考え。


では、アートにとって余分なものとは何でしょう?


伝統的な絵画を思い浮かべてみてください。
例えば宗教画。

主題になっている聖人や天使たちが描かれています。
ミニマリズムからすると、そういった登場人物は邪魔だと考えるのです。

絵というものは2次元の世界。
そこに色や形を載せています。
なので、色や形のみを表すことがアートの極みと考えるわけ。


また、彫像を考えてみてください。
ルネッサンス期の美しい女神の像。
彫像は3次元。
それが女性であるとか、ヌードであるとか、そういった要素は邪魔以外の何物でもないわけ。
ではそういった余分な要素を除くと、残るのは何か?
それは素材と質感いうことになります。


なので、ミニマリズムの作品では、絵画の場合は2次元に描かれたシンプルな色と形。
彫像の場合は3次元のシンプルな色と形。


この作品を見ると、横長の箱状のものが縦に10個連なっています。

メタルの箱もはめ込んだ樹脂も、ジャッドが手作りしたわけではありません。
工場に寸法を出して、機械的に制作されているわけです。

モダンアートでは「誰が作ったか」といったことはそれほど重要ではない場合が多いのです。
それよりも、モノをどこにどんな風に展示するのかといったコンセプトに重点が置かれます。
そこで、日常の素材が「(わけもなく)アートだ」と言われることに反感を持つ人が出るわけ。

でも探すとちゃんと「わけ」はあるんです。
ただ、その「わけ」の見分け方が難しい。

というのは見る側と造った側とのコミュニケーションは人によって違うからです。


10には意味があるのでしょうか?

伝統的なアートでは数字が重要な役割を果たす場合があります。
キリスト教がベースだと、3が非常に重要な意味合いを持っていますよね。


では、10からはどんなことを連想するでしょう?

旧約聖書の十戒、
数え歌、
もしかしたら、10進法の区切りのいい数ということかもしれません。

案外、飾るときに等間隔にしたりするのに便利な数といった選び方かもしれません。


箱状のものが9でも11でもない、ある意味では完結した10という数字。
ジャッドは60年代から90年代までの長くにわたってこのアートを作り続けました。

ある時は色を変えて、ある時はサイズを変えて。

箱型には形があるだけで余計な意味がない。
彼はそう考えて箱型を選んだそうですが、見る側はそうは思わないわけです。

私がこの作品を見て一番初めに感じたことは「壁から飛び出している引き出しみたい」ということ。
次に考えたのは彼の宗教は何だったのかな、ということ。
十戒を想像したんですね。

十戒だと想定すれば、この箱の中には戒めが入っていることになります。

表に出ている樹脂は透明のように見えるけれど、中がどうなっているのかは見えません。

どうやって中を見ることができるのでしょう?

枠組みはメタルなので、硬くて道具がなければ壊すことはできません。
手前の樹脂なら何とかなるかもしれませんが、青い色は昔から大変高価な色でした。
それを壊すのには勇気がいります。



ただ単に機械的に並べられたもの。
わかっていても物事に理由を求めてしまうのは感傷なのでしょうか?

「その存在。」
それだけのはずなのに。

固定観念。
邪推。
偏見。
自分の心の狭さに、はっと気が付く瞬間。

ミニマリズムの作品を観るという行為は、実は自分自身を観るということかもしれません。






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